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6,就職入隊
 
 さて、花の大学生活の5年間も無事に過ぎ、私も卒業、就職することになった。
就職先は、警察か自衛隊と決めていたので、民間は適当に受けていた。
当時は就職協定か何かがあった時代で、いつからでないと企業は学生の採用試験をしてはいけないなどの決まり事があったのだ。
といっても、そんなモノ守ってる企業は半分もなかったのではないかな。
当時の私のバイトは、ホテルでの宴会サービスだったので、企業が会社説明会なんかをやっているのはよく知っていた。
資料請求して、今年は「採用しない」なんか言われた企業が、次の日ホテルで説明会やっていたことなんかもあったな。

セガ、おまえんとこじゃー!!


 で、警察と自衛隊の一般幹部候補生を受けたんだが、どちらも2次で落とされた。
しゃーないから、曹候補士と一般二士の試験を受けて、これらは受かった。
曹候補士というのは、たしか3年後からはあなたは三曹になることができますよーというものだったかな。
なることができるということであって、必ずなれますよではないところがミソだな。
結局、曹にはならなかったから詳しいことはわからない。

 で、受かって入隊した。
一度入っていたから、だいたいの雰囲気はわかっていた。
しかし、大きく変わっていたモノがある。
それは、隊員の質だった。
学生時代のそれとは、比べモノにならないくらいに上がっていたね。
倍率も10倍くらいはあったんじゃないかな。
もう、テストの問題に算数が出ることはなかったな。
隊員に漢字が読めない奴もいなかったな。
牛乳を頼んでいたのに、コーヒーフレッシュを買ってくるようなやつもいなかった。満開の桜と
体力検定なんかでも、ごっついのがおったからな。
絶対かなわないね。
大学の陸上部バリバリの奴なんかに、かなうわけがなかった。
にしても大学出がけっこういてたな、びっくりした。
それともう一つ、教育係の態度ね。
全然厳しくなかったな、軍隊なんか?と思うぐらい。
民間の方が間違いなく厳しいと思ったね。
大事に大事にされてたな、自衛隊では。
警察の方が全然厳しかったもんね。
駐屯地によるのかもしれないけどね、そこの連隊長の方針かな。

 というわけで、新幹線に乗って曹候補士の教育隊に行ったのだった。
前回の教育隊とは違うところだったね。
めちゃ田舎やったな。
変な方言使う奴もいてて、なかなかおもしろかった。
そしてまた、自衛官としての生活をしていくのだった。
それは、阪神淡路大震災が起こった年の4月だったな、そういえば。
めちゃくちゃやったもんなー、あの時の神戸。
その時私は、大阪にいてたのでたいした被害は受けなかったが。
で、神戸に住む知人を助けるために原チャリでいろいろ持っていったな。
道はめちゃめちゃやし、電柱は折れて倒れて、電線がぶら下がってて、首つりそうになるし、高速の高架にバスはひっかかったままになってるし、ほんまむちゃくちゃやったな。
で、心配しながらその人の家に行ってみると、結構楽しんでいたぞ。
キャンプみたいだーとか言ってたな。
半壊した家で住んでたな。
近くの公民館みたいなとこには、家をなくした人がたくさん住んでたな。
で、建物の周りはクソでいっぱいやったな。
トイレが使いもんにならなかったからな。
自販機なんか、ほとんど壊されてたな。
バケツ一個を1万円なんかで売ってる店もあったな、普通の青いプラスチック製のやつな。
そんな店は、数日後には襲撃されて破壊されていたらしいな。
そんな時期に私は2度目の自衛官になったのだった、もちろん陸上自衛隊ね。


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