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10,ファームでの訓練 2

 
 以前といっても10年位前(1990年位)、テレビで外人部隊の番組をやっていた。
僕はそのビデオをもらっのたのだけれど。
自衛隊時代に同じ部隊の奴にもらった。
彼も外人部隊に行きたがっていた。
実際にフランスまでは行ったのだけど、言葉の問題に不安を感じて志願しなかったらしい。
彼は郡山というが、学生時代に自衛隊へ入隊したとき一緒の小隊だった。
そして大学を卒業して再入隊し、配属された先でも一緒の小隊になった。
縁があるのだろう。人生はわからんからおもろい。

 ビデオには外人部隊の新兵教育の様子が写っていた。
だいぶむちゃしていた。
倒れている奴を引きずり起こし、お前の任務は何だ?と教官が訊くと、左下がサビニョール軍曹
『上官の命令に従うことです!』
とフラフラしながら答えていた。
でっかいブロックをかついでスクワットしている奴もいた。
格闘の訓練もしていた。
『お前のパンチは脇があいてるから全然きかないんだよ、パンチはこうやるんだ!』
と言ってどついていた。
すごい!すごすぎる!!これが軍隊やー、自衛隊とは全然違う!!!
とショックを受け、自衛隊は軍隊やない、やっぱ目指すんやったら本物やないと意味がない!と思った。

 なんでもそうだが自分が納得するまでやることだと思う。
私は極真空手の初段を持っているが、以前は他流派の空手(寸止め空手)をやっていた。
が、テレビで極真の世界大会を見、実際に地方の大会を見に行ってそのすさまじさに圧倒された。
これが本物や、やるんだったら本物やと思ったものである。
別に寸止め空手をニセモノだと言っているのではない。
自分の求めていたものが極真空手にあったと言う意味である。

 話を外人部隊に戻そう。
実際の訓練だがテレビとは少し違っていた。
あれほどむちゃはしないようになっていた。
僕が志願する1〜2年前に軍全体の方向修正があり、だいぶやり方が変わったとのことだ。
そのおかげで以前は月3万円しかなかった給料が10万円にまで上がっていた。
カステルの施設も新しいものになっていた。
生活しやすくなっていた。(聞いたはなし)
ゆーても日本と比べたらあかんでー。
不便このうえない。

 ファームでは3日に1度行軍があった。
11〜12キロぐらいのリュック(サッカドーと呼んでいた)にFA−MAS(ライフル)などフル装備で歩く。
歩くといってもかなり速いペースだ。
早歩きという感じだ。
ちょっと油断するとすぐ遅れる。
自衛隊の行軍は散歩だが、外人部隊のは競争といった感じだ。
初回は5キロだ。10,15,20,25,30と毎回距離が増えていく。
最初は楽勝だ。が、だんだんつらくなっていった。
肉体的にではなく、精神的にだ。
原因は『マメ』だ。靴ずれである。
5キロのときは小さいのが1〜2個だったのが回を重ねる度大きくなり、数も増えていった。
歩けばめちゃ痛い。しかし歩かなあかん。
行軍終了後手当てはするが、2日でなおるはずもなくそのまま歩くからどんどんひどくなる。
かかとの傷なんか火山の火口みたいにボッコリふくれ、真ん中に穴があいていた。
全然治らん。もー歩くのが苦痛でしかなかった。
毎日、神様お願いです、治してくださいと祈った。
治らんかった。
行軍中飯のための休憩でもまずやるのは足の手入れ。
それから飯を食う。飯ゆうてもコンバット・レーション。食べ続けると体中にブツブツができた。
飯なんかどうでもよかった。
最終的には13個のマメができた足で60キロ2日間歩くはめになった。
その時見た一面のひまわり畑、めちゃきれかったけどめちゃきらいや。
ひまわりなんか絶対買わん。
そういう経験したのでそれ以降やたら足に気を使うようになった。
靴下に2000円かけるんなんかあたりまえになった。
中敷もいいやつを必死で探した。テーピングやらなんやら買いあさった。

 俺がこんな目にあってるのに全然マメできひん奴もおった。
ペルー人のナンドー。
みんなで『ナンドーはいままで裸足で生活しとったから足が強いんや。』
と決めつけた。
ほんま羨ましかった、ナンドーの足。
奴の名はナンドー・ジーザス。
もちろんアノニマ(外人部隊名)やけどね。
日本の女は最高や、俺は日本女と結婚するんやといつも言っていた。
『君の目、きれい・・・』
とか変な日本語どこかで覚えてきとったので、日本の女はみんな相撲してるねんどーゆうて相撲してベッドに毎日投げ飛ばしとったらそのうち、
『俺、日本の女と結婚せーへん』
とゆうようになった。
こうやって日本のイメージが作られていくんやねー。
はははは・・・


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